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広島地方裁判所 昭和54年(ワ)1009号 判決

原告

日浦順曹

被告

石田克己

主文

一  被告は、原告に対し、金二〇〇万八四六八円及び内金一七八万八四六八円に対する昭和五二年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その四を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、九一五万七〇八九円及び内金八三五万七〇八九円に対する昭和五二年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五二年一二月三〇日午前九時ころ

(二) 場所 広島県呉市焼山町広島ガス焼山サービスセンター前路上

(三) 加害車 普通乗用車(広島五六て四二二〇号)

右運転者 被告

(四) 被害車 普通乗用車(福山五五た八三四〇号)

右運転者 原告

(五) 態様 前記日時場所において、原告が呉方面より熊野方面に進行中、対向して来た被告車が中央線を越え、原告車線に進入して衝突したもの

2  責任原因

被告は、加害車の保有者として、自賠法三条に基づき、本件事故により原告が受けた人的損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 本件事故後の原告の受傷とその治療経過は次のとおりである。

(1) 原告は、本件事故当日の昭和五二年一二月三〇日から昭和五三年一月一一日まで一三日間(実治療日数は四日)、中国労災病院(以下「労災病院」という。)に通院し、頸部捻挫の治療を受けた。

(2) 原告は、同月四日、労災病院で二回目の治療を受ける際、担当医師に頸部の痛みのほかに腰部の痛みも訴え、腰部の診察も求めたのであるが、医師から「放つておけば治る。」とか「仕事をしていればよくなつていく。」などと言われただけで、腰部についての診察を受けることができず、不満は残るものの、前記のようにその後も二回労災病院に通院した。

同月前半は仕事を休み自宅療養を続け、その後は、疼痛が消失したわけではないが、出勤と欠勤を間欠的に繰返し、同年二月後半から同年三月末ころまでは毎日出勤した。

しかし、同月後半ころから、腰痛、腰部のしびれ、下肢脱力感が次第にひどくなつたので、原告は、加害車の保険者である大東京火災海上保険株式会社の担当者梅野の承諾をとりつけたうえ、後記のような治療を受けることにした。

(3) 原告は、同年四月一日から同年八月二五日まで一四七日間(実治療日数は四六日)、大谷整骨院に通院し、頸部・背部・腰部捻挫の治療を受けた。

(4) 原告は、同年九月一日以降は、右下肢のしびれ感、脱力感のため仕事をすることができず、引続き欠勤していたが、この間浜中治療院に三回位通院した。

(5) 原告は、同年一二月一五日から同月二九日まで一五日間(実治療日数は一一日)、佐野屋接骨院に通院し、頸部・腰部捻挫の治療を受けた。

(6) 原告は、同月二七日、労災病院においてレントゲン検査を受け、第四腰椎分離すべり症が判明した。

(7) 原告は、昭和五四年一月四日から同月一五日まで一二日間(実治療日数は八日)、佐々木外科医院に通院し、外傷性頸椎症、外傷性腰椎症の治療を受け、引続き同月一六日から同年五月二七日まで一三二日間同医院に入院し、前記傷病の治療を受けた。

(8) この間原告は、前記大東京火災海上保険の要求で、同月二一日、広島大学附属病院において馬場逸志医師の診察を受け、第四腰椎分離すべり症と診断されたが、同医師から「佐々木医院を退院し、日常生活にもどることが機能回復になるのだから、少しずつ働いた方がよい。」旨勧められ、腰部症状は未だ軽快していなかつたが、右勧告に従い、退院することにした。

(9) そこで原告は、同月二七日、佐々木医院を退院し、同月二八日から同月三一日まで四日間(実治療日数も同じ)、同医院に通院して治療を受け、前同日、症状固定と診断された。

(10) しかしその後も、原告には、第四腰椎分離すべり症に基因する頭重感、頸部痛、腰痛、下肢脱力感等の不定愁訴、両眼調節衰弱(近見障害、飛蚊症)の後遺障害が残つたため、現実には復職不可能であつて、原告は、同年六月一日から同年八月中旬ころまで、前記佐々木医院への通院を継続した。

その後も症状の増悪が激しく、原告は、同年九月ころ、土肥整形外科で診察を受けたところ、当初直ちに手術を要する旨の診断であつたが、その後同整形外科の担当医がその恩師に当る前記馬場医師と協議した結果、直ちには手術をしないで様子をみることに方針が変更された。

(11) 原告は、昭和五五年一月四日、労災病院で診察を受けた後、同月八日同病院に入院し、同月一一日に手術(第四~五腰椎間前方固定術)を受けた後、同年五月一七日退院し(入院日数一三一日)、翌一八日から治療打切りとなつた昭和五六年三月末日までの間に一六日間労災病院に通院して治療を受けた。

(12) なお原告は、昭和五五年九月一日から復職した。

(二) 以上の経過から判断すれば、原告は、本件事故前には、メリヤス機械の部品加工、組立を業とする日浦製作所の工場長として、格別腰部痛、下肢脱力感などを感じないまま、何ら支障なく自ら旋盤、ボール盤等の工作機械を操作しつつ、右部品加工、組立の作業に従事することができていたのに、本件事故後は、第四腰椎分離すべり症に起因するとみられる腰部痛、下肢脱力感等の症状が発現し、その結果原告は、休職、療養するのやむなきに至つたものであるから、これらの症状と本件事故との間には相当因果関係がある。

(三) 脊椎(腰椎)分離すべり症が一回限りの衝撃による外傷から発症することはまれである旨の医学上の見解もなくはないようであるが、前記(一)の経過からみて、本件においては、原告に既存の無症状の腰椎分離すべり症があつたところへ、本件事故による強力な外力が加わつたため徐々に増悪し、腰部にすべり症の症状が発症するに至つたものと言うべく、したがつて本件事故と原告の右症状により生じた損害との間には、少なくとも七割を下廻ることのない因果関係が認められるべきである。

(四) 前記の原告の受傷に伴う損害の数額は次のとおり合計九六八万七〇八九円である。

(1) 治療費 合計九七万九一九二円

内訳

佐々木外科医院分 三四万二七六三円

労災病院分 四四万一四二九円

大谷整骨院分 一四万八五〇〇円

佐野屋接骨院分 四万六五〇〇円

(2) 入院雑費 一八万三四〇〇円

入院日数二六二日につき一日当り七〇〇円の割合による雑費

(3) 休業損害 三一八万三一八〇円

原告は、前記のとおり、日浦製作所の工場長として、メリヤス機械の部品加工、組立等の業務に従事していたが、次のとおり合計三七一日間休業を余儀なくされた。

(ア) 本件事故当日の昭和五二年一二月三〇日から昭和五三年八月末日までの間については、日曜、祝日を除き、実休業日数である六九日間

(イ) 同年九月一日以降治療打切りとなつた昭和五六年三月末日までの間については、実治療日数に相当する三〇二日間(うち入院日数二六二日)

右三七一日間について、昭和五二年賃金センサス(自賠責)四五歳、男子平均賃金月額二五万七四〇〇円で算定すると、三一八万三一八〇円となる。

257,400×1/30×371=3,183,180

(4) 慰謝料 合計三〇〇万円

(ア) 入院二六二日、通院一九一日(実治療日数九一日)に対する慰謝料一五〇万円

(イ) 後遺障害(一二級一〇号)に対する慰謝料一五〇万円

(5) 後遺障害に基づく逸失利益 一五四万一三一七円

原告が本件事故により蒙つた後遺障害は、自賠法施行令別表一二級一〇号に該当し、原告は、その労働能力を一四パーセント喪失したことになり、少くとも四年間は右喪失状態が継続することになるので、合計一五四万一三一七円の減収となる。

257,400×12×0.14×3.5643=1,541,317

(6) 弁護士費用 八〇万円

4  損害の填補 五三万円

原告は、被告から五三万円の内入弁済を受けたので、右金員を前記(四)の(1)ないし(5)の損害の一部に充当する。

5  まとめ

よつて、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、合計九一五万七〇八九円及び右金額から弁護士費用分八〇万円を控除した内金八三五万七〇八九円に対する本件不法行為の日である昭和五二年一二月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の事実はいずれも認める。

2  請求原因3の事実について

(一)の本件事故後の原告の受傷とその治療経過に関する事実のうち、(1)、(3)、(5)ないし(7)の各事実、(8)のうち、原告が加害車の保険者である大東京火災海上保険の要求に基づき、原告の主張する日に広島大学附属病院において馬場医師の診察を受け、第四腰椎分離すべり症と診断されたこと、(9)及び(11)の各事実はいずれも認めるが、その余は争う。

(二)及び(三)の因果関係についての主張及び(四)の損害額については、いずれも争う。

第四腰椎分離すべり症が外傷により発生することは極めてまれである旨の医学上の見解からすれば、原告主張の後遺障害は、仮にあつたとしても、本件交通事故との間に相当因果関係は認められず、本件交通事故と相当因果関係の認められる損害は、原告が事故当日の昭和五二年一二月三〇日から昭和五三年一月一一日までの間に労災病院で治療を受けた頸部捻挫に限られるべきである。

3  請求原因4の内入弁済の事実は認める。

4  請求原因5は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告が昭和五二年一二月三〇日、請求原因1記載の交通事故にあつたこと及び被告が加害車の保有者であることは当事者間に争いがないので、被告は、原告に対し、本件事故によつて生じた損害を賠償する義務を負うことになる。

二  そこで、原告主張の傷害ないし後遺障害と本件事故との間の相当因果関係の有無及び被告が賠償すべき損害の範囲について判断する。

1  請求原因3の(一)の本件事故後の原告の受傷とその治療経過に関する原告の主張事実のうち、(1)、(3)、(5)ないし(7)の各事実、(8)のうち、原告が加害車の保険者である大東京火災海上保険の要求に基づき、昭和五四年五月二一日に広島大学附属病院において馬場逸志医師の診察を受け、第四腰椎分離すべり症と診断されたとの事実、(9)及び(11)の各事実については、当事者間に争いがない。

2  ところで原告は、昭和五三年一月四日に労災病院で二回目の治療を受ける際、担当医師に頸部の痛みとともに腰部の痛みも訴えて、その診察、治療を求めたにもかかわらず、腰痛についてはとりあげてもらえなつた旨主張し、原告本人も、本件事故の翌日、腰痛があるので調べたところ腰部に内出血のあることがわかり、昭和五三年一月四日に治療を受ける際、担当医師にその旨申告して腰部の診察を乞うたが、とりあつてもらえなかつた旨前記主張に副う供述をするので、まず、原告の腰痛の発現の時期について検討する。

前記1記載の当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第一号証、第四号証、第一二号証、第二三ないし第二八号証、乙第一、第二号証及び弁論の全趣旨を総合すれば、次のような事実を認めることができる。

(一)  原告は、本件事故当日の昭和五二年一二月三〇日と昭和五三年一月四日、同月九日、同月一一日の四回、労災病院に通院したが、いずれの時も、頸部捻挫の治療しか受けなかつた。

(二)  原告は、本件事故当日、呉警察署において本件事故につき取調を受け、被害者供述調書を作成されているが、右取調の際「衝突のため首が痛くなり、労災病院で診断を受けているので、診断書が出れば提出する。」旨供述した。そして原告は、労災病院の泉恭博医師から昭和五三年一月四日付診断書(甲第二六号証)の作成を受け、これを警察署に提出したが、右診断書には、頸部捻挫のため昭和五二年一二月三〇日より約一〇日間安静加療を要する見込である旨の記載があるのみで、原告の腰部の痛みについては何ら言及されていない。

(三)  原告は、昭和五三年一月一一日に労災病院で治療を受けた際、一応復職してみることに決め、以後暫くは通院を止めたが、同年二月三日、再び労災病院を訪れ、「その後仕事をしていた。風邪をひいたら右肩を動かすと痛い。」などと述べて診察を受けた。その際、頸椎に異常のないことを確められたものの、腰部については何ら手当を受けなかつた。

(四)  労災病院の外来診療録(乙第二号証)の記載上、原告が担当医師に腰痛を訴えたことをうかがわせる記載がなされたのは、同年八月九日が最初である。そこには、「Lumbago」(腰痛症の意)の記載にすぐ接続して「←(事故当時打つたと言つている)」と記載されている。

(五)  同年一二月二七日原告は、耳鳴り、頸部痛、腰部痛を訴えて労災病院で診察を受け、レントゲン検査の結果、腰椎分離すべり症のあることが認められたが、担当医師は、外傷との関連は困難である旨の所見を右診療録に記載した。以上の(一)ないし(五)の諸事実に前記1の事実を総合すれば、原告は、昭和五三年一月四日に労災病院で治療を受けた時には、未だ腰痛を自覚していなかつたし、したがつて担当医師に訴えもしなかつたものであつて、原告の腰痛は、本件事故後約三か月経過した昭和五三年三月末ころ(原告が大谷整骨院に通院し始める前ころ)発現するに至つたものと推認するのが相当であり、右認定に反する原告本人尋問の結果の一部及び甲第二二号証(原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる。)の一部はいずれも採用することができず、他に、本件事故の直後ころから原告に腰痛が生じていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

3  成立に争いのない甲第二〇号証、第四三号証の二、証人花川志郎の証言、鑑定人花川志郎の鑑定結果を総合すれば、次のような事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(一)  一般に、脊椎分離すべり症は、第五腰椎に生ずる例が一番多く(約八〇パーセント)次いで第四腰椎に生ずる場合が多いとされているところ、一般住民を対象にレントゲン検査をすれば、対象者の四ないし七パーセントの人に脊椎分離すべり症のあることが認められるものの、右すべり症の確認されれた人のうちで、腰痛の自覚症状のある人はごく少数であつて、大部分はいわゆる無症状の脊椎分離すべり症にとどまつていること、逆に腰痛を訴える人のうち、脊椎分離すべり症の認められるものも、四ないし七パーセントであり、結局、脊椎分離すべり症と腰痛との関係は、未だ医学的に充分解明されたとは言い難い状況である。

(二)  脊椎分離すべり症の発生原因に関しては、医学上、先天説(先天的に椎弓峡部に骨癒合障害が起こることにより発生するとする説)、外傷説(急激な一回の外傷で椎弓峡部に椎弓骨折が起きることにより発生するとする説)、静力学説(椎弓峡部に緩慢なストレスによる疲労をみるもので、スポーツ活動家に多く、腰椎部に繰返し加えられる応力により発生するとする説)、形成不全説(遺伝的、先天的素因、ことに椎弓の形成不全に基づいて発生するとする説)などの諸説があり、現在のところ、静力学説もしくは形成不全説が主流を占めているとされているが、未だ定説というべきものはない。

(三)  一回の外傷によつて脊椎分離すべり症が発生することは、それ自体、極めて稀であるところ、一回の強力な外傷(例えば、重量物が直接背中に落下して受傷するとか、時速約七〇キロメートルの高速で走行する自動車同士の衝突による受傷)により脊椎分離すべり症が発生した場合には、その受傷直後の症状は激烈であるとされているので、前記1、2に説示した本件事故後の原告の治療経過と対比して、本件事故で受けた衝撃のみによつて、原告の第四腰椎分離すべり症が発症したと推論することはできない。

(四)  既存の無症状の腰椎分離すべり症をもつ人が、外傷を受け、そのため前記無症状の腰椎分離すべり症の症状が徐々に増悪し、腰痛、下肢のしびれや脱力感等の症状を呈するに至るという症例は、医学文献に散見される程度の非常に稀な症例であるとされているが、本件原告の場合、右のような稀有の症例の一つに含まれる可能性は否定できない。

4  前掲甲第二三ないし第二八号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、次のような事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(一)  原告は、昭和九年一一月一日生の男子であるが、昭和四三年ころ、辰己産業株式会社の下請企業として、メリヤス機械の部品加工、組立を業とする日浦製作所が原告の親族(父と原告の兄弟ら)と第三者との共同事業という形態で開業した時から、これに参画した。その後昭和五〇年ころ、第三者が分離独立した後は、原告の兄が右日浦製作所(個人企業)の代表者、原告がその工場長の地位に就き、一〇名前後の従業員を使つて工場を経営するようになつた。

原告は、工場長として、従業員の技術指導や仕事の段取りを立てたりする職務に当つたほか、自らフライス盤、旋盤、ボール盤などの工作機械を長時間立つたまま操作する仕事(相当の重労働であると推認される。)にも従事し、本件事故前には、平日に残業することや日曜日にも出勤して工場で働くことも少なくなかつた。

(二)  本件事故は、被告が、自己の前車を追越すため、加害車を時速約六〇キロメートルに加速させて道路右側部分にはみ出して進行し始めて間もなく、対向してきた原告車(その時速は約四〇キロメートル)を約一九・六メートル前方に発見し、急制動の措置をとつたが、路面が雨で湿つていたこともあつたため間に合わず、正面衝突したというものであつて、その衝突の衝撃は相当強かつたものと推認できる。

(三)  原告は、前記説示のとおり、本件事故後約三か月経過した昭和五三年三月末ころから腰痛を覚えるようになり、同年四月一日から大谷整骨院に通院するようになつたものであるが、その後の経過については、請求原因3の(一)の(3)ないし(12)記載のとおりである(右のうち、理由二の1に記載の事実については当事者間に争いがない。)。

(四)  原告は、本件事故発生から約三か月経過した後から、長期間にわたり、大谷整骨院をはじめ種々の治療施設において治療を受けたりこれを打切つたりしたが、右の治療開始、打切りに際しては、予め、加害車の保険者である大東京火災海上保険株式会社の担当者梅野に連絡をとり、その承諾をとりつけていた。

5  以上1ないし4に説示した諸事実を総合して更に本件につき考究するに、原告には、本件事故前から無症状の腰椎分離すべり症があつたところ、本件事故により受けた衝撃のためこれが次第に悪化し、約三か月後に発症し、腰痛、右下肢のしびれ、脱力感、頭痛、耳鳴り等の症状が持続するようになり、種々手当を尽くしたが、昭和五五年一月一一日労災病院において第四~五腰椎前方固定手術を受けるのやむなきに至つたものと推認され、前記認定の本件事故の態様、本件事故前の原告の生活状態等からみて、原告の右症状の発現については、本件事故が相当大きな影響を与えており、本件事故がなければ、原告の右発症はなかつたものと推認されるので、本件事故と原告の右発症との間に相当因果関係の存することを否定することはできない。

もつとも、本件事故が原告の右発症の唯一の原因であるとみるのが当を得ないことは明らかであり、原告の既存の無症状の腰椎分離症、年齢、従前原告の従事していた職業からくる腰椎の負担、本件事故後の治療経過、その他本件にあらわれた諸般の事情を勘案のうえ、原告に生じた損害の公平な分担、填補という見地から考察するならば、本件により原告の蒙つた損害のうち、三〇パーセントの限度において被告の賠償責任を肯認するのが相当である。

三  次に損害の額について判断する。

1  治療費 九七万九一九二円

前記のとおり、原告は、本件事故当日の昭和五二年一二月三〇日から昭和五六年三月三一日までの間に、入院日数合計二六三日、通院実日数合計九四日にわたり、本件事故により受けた傷害の治療を受けたのであるが、成立に争いのない甲第一二ないし第一九号証、第三二ないし第四一号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告はその間、治療費として少くとも合計九七万九一九二円を支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2  入院雑費 一八万四一〇〇円

原告が本件事故による傷害の治療のため、前後合わせて二六三日間入院したことは前示のとおりであり、その間雑費として一日当り少なくとも七〇〇円、合計一八万四一〇〇円支出したことは、容易に推認することができる。

3  休業損害 三〇〇万円

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、日浦製作所に雇用されて働く従業員(原告の親族を除く。)は、最盛期には一五名位居たが、本件事故当時は一〇名位に、また本件事故の三年後には三、四名に、なつていたこと、本件事故当時、原告の妻は、日浦製作所で働いていたものではなく、ゴルフセンターに勤務し、手取り数万円の月収を得ていたこと、本件事故当時の原告の家族は、原告夫婦と中学二年生の長男、小学六年生の長女、小学三年生の二男の五人構成であつたことがそれぞれ認められ、右事実を総合すれば、原告は本件事故当時、少くとも三〇〇万円を下廻らない年収を得ていたものと推認されるところ、前記のような治療経過に照らせば、原告は、少くとも一年を下らない期間休業を余儀なくされ、三〇〇万円を下らない休業損害を蒙つたものと推認される。

4  慰謝料 二七〇万円

前記認定の本件事故の態様、原告の受傷内容とその治療経過、後記認定の後遺障害の内容とその程度その他本件にあらわれた諸般の事情を考慮すると、原告が本件事故による受傷及び後遺障害のため蒙りまた将来蒙つていく精神的苦痛に対する慰謝料は、合計二七〇万円をもつて相当と認められる。

5  後遺障害に基づく逸失利益 八六万四九三六円

証人花川志郎の証言、原告本人尋問の結果及び鑑定人花川志郎の鑑定結果を総合すれば、原告は、昭和五五年一月一一日、労災病院において脊椎前方固定術を受け、同年五月一七日に退院し、その後昭和五六年三月三一日までの間に一六日通院した結果、そのころ第四腰椎分離すべり症の症状は固定したこと、しかしその後も原告には、自覚的所見としては、腰部鈍痛、右下肢脱力感(立ち仕事を三〇分間続けると休む必要がある程度)、知覚障害(右足背部のしびれ感)、腰椎運動障害(しやがみこむような仕事ができない。)がみられ、他覚的所見としては、軽度の腰椎運動障害(屈曲障害程度は指尖―床距離三〇センチメートル程度)、右足の底筋群の軽度の弱化、知覚障害(右下腿外側から右足背内側にかけて、触痛覚に対して知覚鈍麻)がみられるのであつて(但し、運動痛は、腰椎部には特に認められない。)、右事実によれば、原告は、前記症状固定時から少くとも三年間はその労働能力の一二パーセントを喪失した状態が続くものと認めるのが相当である。

そうすると、右後遺障害による原告の逸失利益の本件事故時の現価は、次の算式により、八六万四九三六円となる。

3,000,000×0.12(5.1336-2.7310)=864,936

(なお、原告主張の両眼調節衰弱の後遺障害については、成立に争いのない甲第一一号証によれば、原告の両眼の調節機能が若干低下していることはうかがい得るものの、未だ損害賠償の対象とするに足りる程の著しい調節機能の障害を残すとまでは認められず、他にこれを認めるべき証拠はないので、右後遺障害に関する原告の主張は採用できない。)

6  以上1ないし5の損害額の合計は七七二万八二二八円となるが、前記のとおり、そのうち三〇パーセントを被告は賠償すべきであるから、原告が被告に対し請求し得る賠償金の額は、二三一万八四六八円となるところ(円未満は切捨て)、原告が被告から本件事故の損害賠償の内金として五三万円の支払を受けていることは当事者間に争いがないので、右金額を控除すると、残額は一七八万八四六八円となる。

7  弁護士費用 二二万円

本件事案の性質、審理経過、認容額に鑑み、原告が本件事故による損害として被告に対し賠償を求め得る弁護士費用は二二万円が相当である。

四  以上の次第で、原告の本訴請求は、被告に対し二〇〇万八四六八円及びこれから弁護士費用相当分二二万円を控除した内金である一七八万八四六八円に対する本件不法行為の日である昭和五二年一二月三〇日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山崎宏征)

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